ねずみ君ち

読書やゲームやその他日常のことを細々と。

2018年。

明けましておめでとうございます。

このブログを読んでくださるかたがどれほどいるのだろうかと、それこそ考え始めてもしょうがないことを毎度思いながら書いていますが実際どうなのでしょう。

 

わたしは年末年始休暇に入ってからもうすでにワインのボトルを3本空けました。他にも数本の弱いお酒を飲みました。休暇2日目から飲み始めて、ジュースかよ!てなかんじで毎日お酒を飲んでいます。

二十歳くらいのときは、「お酒なんてなにが美味しいのか分からない」くらいに思っていたのですが、いつから変わったのでしょうか。両親はあまりお酒が強くないので、おそらく隔世遺伝だと思います。

すでに亡くなっているのですが、よく親戚から「似てる」と言われた父方の祖母は、お酒をいくら飲んでも平気なひとでした。あと極妻かよ!みたいに片膝を立ててキセルでタバコを吸っており、たまに着物を着ていたりするので、幼心に(怖い...)と思っていたものです。父方の家は大工の家系なので、職人かたぎの家の中にお嫁に入るには、あのくらい気性の激しいひとでないといけなかったのかもしれません。

その祖母は早くに目を悪くし、耳も聞こえなくなっていました。わたしも視力があまり良くないですし、ストレスや疲れでよく片耳が聞こえなくなったりするので、祖母からの覚醒遺伝があるかもしれないなあと思いながら生きております。

でも性格はあまり似なかった気がします。わたしはわりとボーっとしてるし、祖母のようにパキパキしていないと思います。好き嫌いはハッキリしているのでその点は似ているかもしれません。

 

今日もお酒を飲みながらブログを開いていますが、開いたときに書こうと思っていたことをすでに忘れています。

2018年は(そうだ今年の抱負を書こうと思ったんだ!)、2018年は自分を取り戻す一年にしようと思います。なぜなら昨年は少し背伸びをしたり、自分を良く見せようとしていた気がするからです。「わたしはわたしでしかない」というのは狭い表現なので避けたいから、「わたしはわたしである」と言うほうがよいかもしれません。

わたしがわたしであることを否定せずにいられるような場所を模索したいと思っています。簡単に言うと居心地が良いところにいたいなあというかんじかな。

しかし毎年のように「今年は穏やかに過ごしたい」とか書いてる気がするのですが。実際そこまで過酷な状況にあるわけでもなく淡々と日々を過ごしており、たのしいことやうれしいこともあったりするのに何故なのだろう。どうなれば穏やかなのか自分でももうよくわかりません。とりあえず健康でいたいです。うちの飼い猫共々ずっとずっと健康で、毎晩くっついて寝て起きて食べて、安穏と暮らしていきたい、というのが現在のいちばん大きな願いです。神様どうぞよろしくお願いします。

皆様も良い一年になりますように。心からお祈り申し上げます。

 

POPEYE特別編集の『本と映画のはなし。』を読みました。

表紙に、「語りだしたら止まらなくなる作品を君は持っているか?」というコピーが書かれていてとても興味を持ったので読んでみました。

そして、そういえばこのブログに好きな本のことは書いてたけど、好きな映画のことを書いてないなと思いました。

 

わたしの好きな映画は、『ストレイト・ストーリー』と『WALL-E』です。

 

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ウォーリー [Blu-ray]

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これはわたしの中でもう何年もゆるぎない、不動の2作品です。

 

ストレイト・ストーリー』は、とある老人が、遠く離れて暮らす兄の病気の知らせを受けて、兄に会うためにトラクター(みたいな車)でひたすら旅をするというただそれだけの物語なのですが、最初に観たときからその映像とか雰囲気がいつまでも心に残って忘れられなくなりました。これまで何度か観ましたが、飽きることがありません。感動するかと問われるとそうでもなく、ちょっと胸にクンとくる程度です。でも大好きな映画です。今回のPOPEYEにもこの映画をおすすめしているかたがいて、ちょっと嬉しくなりました。

 

『WALL-E』は、逆になにも語りたくないくらいわたしにとって大事な映画です。何度観たかわかりません。この映画を心底好きというかたがいたら、とても仲良くなれそうな気がします。

 

こうやって好きな映画をあげてみると、わたしはけっこうシンプルなテーマの映画を好きなのかもしれないなあと思います。

好きな本についてもまたしかりで、普段は鬱々と暗くてエグい内容の小説も読んだりするし「面白い!」と思うしそれは嘘ではないけれど、テーマがシンプルでまっすぐなものは自分の中で印象が強いと思いました。

 

ミュートって便利。

最近ちょっとだけ思ったことです。

著名なかたの訃報についてSNS等で追悼の意を表することは、皆と悲しみを共有する意味合いもあると思いますし、それを見ている側としても、つぶやいているひとにとっては大事な存在だったのだろうなあといつも感じています。

 

先日、アメリカの有名なロックバンドのボーカルのかたが亡くなられましたね。ツイッターのタイムラインで皆がそのことについてつぶやいていました。わたしも少なからずショックを受けています。

 

そのときに、わたしのフォローしているひとが、どこかのまとめサイトの『○○の自殺の理由がやばい』という記事を引用しつつ、「××と出来てたってこと?」とつぶやいていました。

わたしはそれを見て(ああ、このひとはファンではなかったのだろうな)と思いました。ファンならそのかたを汚すようなことは書かないと思いますし、当事者ではないのにもかかわらず、亡くなったかたの交友関係について言及できると考えているとしたら、個人的には非常に理解し難いからです。

(ファンでないのならこんな感じなのだろうなぁ)と思いつつ眺めていましたが、そのひとはその後も「自分の音楽歴史的には××が亡くなっていたことのほうがショック」などと記事に絡めたつぶやきを続け、最後に「○○の人生も壮絶だったんだね」と締めくくっていました。

このひとは何を言いたいのだろうと思いました。でもこれはつぶやきなのだからまいっかと思いながら、なんとなくそのひとをミュートしました。

 

ねずみ君、あっぷるみゅーじっく沼にハマる。

何かにハマることを沼って言うんですよね。インターネット文化に疎いわたしでもそれくらいは知っています。だからなんなのってかんじですが。

先日スマホiPhoneに変えたのでAppleMusicを使ってみてるのですが、まだ無料期間なもので気持ちが大きくなっているのか節操なく色んなジャンルの曲を聴いていて、これまで全く知らなかった歌手やバンドの曲を聴けてじつに楽しいです。

ここ数日ハマっているのが、この曲は冬の曲だなとか、これは春の曲だなとか思いながら聴くことです。以前に聴いたことのある曲だと、この曲をよく聴いてたときは高校生だったなあなどと当時のことを思い出してとても楽しいです。

個人的に勝手な考えを述べると、音楽というのは時間の経過とともに音が奏でられるものであるから時間というものと切っては切れない関係な気がするし、そのために過去の思い出とか、季節の移り変わりを感じたときに一緒に思い出したり、深く記憶に残ったりするのかなあ、なんてことを思ったりしました。

 

わたしは4月生まれなのですが、4月の曲というと以前このブログにも貼ったことのある下記の曲を思い出すので、勝手に自分のテーマソングぐらいに思っていてとても好きです。

 


My Tribute to Prince: 1958-2016. Sometimes it Snows In April.

 

ところで話は変わるのですが、ちょっと怖いかもしれないから苦手なひとは読まないでください。

プリンスはわたしの父が好きで、よく家や車の中で聴かされていたのでけっこう曲を知っているのですが、わたし自身はアルバムを1枚くらいしか持っていなかったので、昨年(かな?)そのプリンスが亡くなったときに改めて聴きたいと思い、youtubeで色々と動画を探して観ていました。

どの曲か忘れたのですが、アップテンポの曲に合わせて様々な写真をつなぎ合わせたかんじの動画を観ていたら、ちょうど曲が半分くらいのときにプリンスの顔アップで絵がピタッと止まったのです。曲は続いています。しかしその顔アップの絵が、ちょうど苦しげな表情で歌っている場面で、かつ古い映像なものでとても不気味で、プリンスが亡くなったばかりということもあってわたしは非常に恐ろしく感じてしまったのです。そのせいかその後しばらくはあの方の曲は聴けなくなったのでした。動画をアップロードしたひとの思惑であのような内容にしていたのかもしれませんが、観ているほうはとても怖かった...。いま思い出しても背筋が寒くなります。

でも上に貼った動画の曲はとても穏やかで良い曲だと思います。

 

IDを変えてゴソゴソしました。

TwitterのIDなどと統一したいために、はてなブログのIDを変えて、ブログを引越し(というのかな?)しました。内容は変わりません。

前のIDのときに☆をつけてくださっていたかたには申し訳ないのですが、現在アクティブなかたはいらっしゃらないようなので、特に問題は無いかと思います。

ほんとは連休中にブログの引越し(てかID変更)をしようと思っていたのですが、連休が終わってから思い出して急遽、職場の端末で暇なときにゴソゴソやりました。

読書の感想は『ブクログ』というのをちょっと前から始めているので、ここに書くことは少なくなると思いますが、たまには書くかもしれません。

今日は覚え書き程度ということでこのへんで。

 

読んだりすること。

わたしは今年本を100冊読むぞという目標を打ち立てました。年間100冊ということは1ヶ月に8~9冊を読む計算です。しかし小説のみをそんなに読めるかなあ?と、まったく自分を信用できないわたしなので、漫画もOKというルールにしました。

いまは2月の下旬ですが、現時点で読んだ冊数は8冊、うち5冊が漫画です。ペースのことを考えると現時点で13冊くらいは読んでいるべきなのですが、まだ2月ですし、よしとしましょう。

 

ところで、人生はおよそ80年ですから、例えば10代の頃から年間100冊読んでいたとしても、一生の間に読めるのは8000冊。

ちょっと検索してみたところ、日本で一年間に発売される本の数は約80000冊だそうです。自分が生きているであろう80年間で計算すると640万冊です。大変な数字です。以前勤めていた職場に、1ヶ月に本を30冊読む上司がいて、どうやって読んでいるのかと問うたところ、なんと速読でした。あれは訓練すればちゃんと内容は頭に入るそうです。情緒的な方面も読めるのでしょうか。上司なのであまり突っ込んで聞けなかったのですが、きっとそこらへんも読めるのでしょう。すごい技術だと思います。

 

わたしは人生であと何冊本を読めるのだろうと考えることがあります。映画やゲームが好きなかたも「人生であと何本観られるのだろうか」と考えることがあると思いますが、出会った本は640万冊のうちの1冊ですから、そのせっかくの出会いを大事にしたいなと思ったりするのでした。読んでみたら自分には合わないとかもあると思うのですが、自分には合わないということに気付かせてくれてたのだと思うと、またそれも大切なことだと思うのでした。何度も繰り返し読む本も、途中で読むのをやめてしまった本も、誰かが懸命に書いて、編集して、印刷して、製本して、お店に置かれているのですよね。そうやって大事に作られた本を、自分の手に持って読めるのってなんかいいなあと思います。

 

ねぶそく週間。

わたしは今週は寝不足気味だなあと思っているのですが、寝不足ってどのくらいの睡眠時間の場合に言うのでしょうか。ゆうても4時間くらいは寝ているので寝不足まで行っていないのでしょうか。ま、どちらでもいいのですが。

なにか日記でも書こうと思ってここに来て、数行書いたら(なんかまとまらないし今日はいいかな...)つって閉じるというのを3回くらい繰り返しての今日なのですが、やっぱり何が書きたいのかよく分からなくて、結果的に、何が書きたいのかよく分からない、ということだけを書きに来たことになります。

 

唐突ですが、このはてなブログを開いているときにわりとよく頭の中をよぎることが何点かございます。

ひとつめは、このブログを始めたしょっぱなの頃に読者になってくださったハーモニカのひとは、いまもお元気なのだろうかということ。最後のほうになにか大事な決心をなさっているご様子だったので、善きことになっていればいいなと思います。

それから最初の頃に書きたいと思っていたいくつかのテーマがあったのに、ほぼ放置になっているなあということ。

それからブログのタイトルがいつまで経っても決まらないなあということ。

そしてブログを始めた頃から考えても、自分はなかなか変わることのできない人間だなあということ。自分の中での自分の人間像としては、もっと柔軟で頭の回るやつだと思っているのですが、実際は真逆どころかしょうもない阿呆なのでした。でもそうゆうのも含めてけっこう楽しんでいるとは思います。阿呆な自分が可愛いとでも思っているのでしょうか。救いがたいにも程がありますね。

そんなかんじで今日は寝ることにしましょう。

おやすみなさい。