ねずみ君ち

読書やゲームやその他日常のことを細々と。

こわいはなし。

今日は少し怖いお話をしようと思います。

あなたは霊の存在を信じますか?

わたしは現在は信じていませんが、子供の頃は信じていたというか、そこらじゅうのわけの分からないものがすべてそうゆうオカルト的なものだと思い込み恐れていたとは思います。

しかし成長するにつれてそういったものは正直バカバカしいと思うようになりました。だって皆さんの周囲にもひとりやふたりは必ずいると思うのですが「オカルト話を尤もらしく吹聴するひと」ってバカみたいだし(個人的な意見です)、それに人間の脳というのは宿主の思惑に関係なく幻覚や幻聴まで見せることができるのだから、幽霊を見たと思わせるのも可能だと思うのです。

いまのわたしは暗闇なんて怖くないし、夜道だって変質者のほうがよっぽど怖いし、たいがいのものは「空目だった」とか「夢だった」といって済ませることができるようになりました。

 

ただひとつだけ、心から信じている不思議な体験があります。

 

わたしの母方の実家にいた伯母は知的障害のひとでした。

無邪気で可愛らしいひとで、わたしたち親戚の子供達が遊びにいくといつも伯母がお守りをしてくれて、わたしたちもとても懐いていました。

母の実家は昔は農家だったので、広い敷地に建つ古い日本家屋で動物もたくさんいて、とにかく子供の遊ぶネタがたくさんありました。わたしたちは伯母にチョロチョロとついて回り、昔ながらの子供の遊びをたくさん教わり、とても楽しかったことを今でも思い出します。

しかし祖父母は、伯母のことをあくまでも厄介者として扱っていました。伯母にも家事の役割分担があり、そのとき伯母が少しでも言うことを聞かないと子供達の前でも平気で怒鳴ったりしていました。伯母はそんなとき、見るからに縮こまりしゅんとしてとても悲しそうでした。

とくに祖父は厳格というか頭の固いひとで、だれも逆らえるひとがいませんでしたので、周囲の大人達はそうゆうとき「しょうがないんだよ」「そうゆうものなんだよ」というような表情で知らんぷりをするか、祖父母と同じように伯母を怒るかどちらかでした。家族からの扱われ方について伯母自身はどんなふうに思っていたのだろうかといまだに考えることがあります。しかしあれも一緒に暮らす家族ならではのコミュニケーションの方法なのでしょうか。わたしには分かりません。

伯母はよく笑うひとでしたが、笑っていないときはいつもどこか悲しそうに遠くを見るような表情をしていました。(まあでもこれは今になって思うだけで、子供の頃のわたしがそこまで感じていたかどうかは分かりません。)

やがてわたしたちも成長しますので、伯母と会う機会も減り、お正月やお盆などの親戚が集まるときくらいしか顔を合わせなくなります。それでもわたしたちの顔を見ると名前を呼び、昔のおもちゃを出してきて一緒に遊ぼうと誘ってくる伯母はとても可愛らしく健気でした。そうゆうときは誘いに乗って一緒に遊ぶのですが、手を握られるとカサカサで皺が多くなっていて、めったに会えないことを後ろめたく思ったりしました。

 

伯母との思い出はたくさんありすぎて書ききれません。

伯母がよく歌っていた子守唄のようなもの、伯母が大事なものをしまっていた箱の模様とか、一緒に蜂の巣を撤去しようとして酷い目にあったこととか、栗拾いをしたりとか、田んぼ道を遠くまで歩きすぎて迷子になったこととか、お祭りが大好きで一緒に夜店を回ったこととか、いろいろあります。

 

わたしは社会人になってから数年程、親元を離れ妹と二人で暮らしていました。

住んでいた部屋はわりと賑やかな場所にあったのでご近所で夜にワイワイと騒ぐ声に悩まされることも多かったのですが、ある日の夕食が終わる頃の時間に女性の甲高い歌う声が聴こえてきました。

わたしと妹は(また近所で誰か歌ってるなあ)程度に思っていたのですが、翌日、翌々日の同じ時間にもまったく同じように歌う声が聴こえてきます。それは夕食が終わる頃の時間からわたしたち姉妹が寝てしまうまでは続いていました。

よーく聴いてみてもなんの歌かはまったく分からなくて、妹とふたりで「いったい何の歌なのww」などと笑っていました。

そして四日目の夜に母から電話があり、伯母が亡くなったと聞かされました。三日間危篤状態だったそうですが、家にお医者を呼んで、親戚には知らせず家族だけで看取ったそうです。

その日の夜から歌声は聴こえなくなりました。

祖父はお通夜のときに「肩の荷がおりた」と言っていました。

伯母の葬儀が終わってしばらくしてから、妹と「あのとき歌ってたのは伯母ちゃんだったんだろうね」という話をしました。

 

伯母は、離れて暮らすめったに顔を出さない不義理なわたしたち姉妹のことを死に際に思い出して、歌を贈ってくれたのだと思います。霊の存在など信じていなくてもわたしにとってそれは本当のことです。