散文 #2
会社のお昼休憩の時間。社食でカレーライスを食べ、デスクへ戻ろうとエレベーターを待っているときに隆から携帯へメッセージが入った。
ー 今日仕事終わりにちょっと付き合ってもらいたいんだけど
隆は同僚で斜め前のデスクに座っている、明るくサバサバしたやつであまり男性ということを意識せずに、仕事の愚痴や相談を遠慮せずに話せる友人でもあった。ただその頃はなにかに悩んでいる様子で、日によって明るかったり暗かったりするし、心配して状況を聞き出そうとしてもはぐらかされて、なんだか気持ち悪いのだった。そんなわけでそのメールが届いたときも(急になんなのこいつうざー)としか思わなかった。
ー 時間はあるけど、今日付き合えるかどうかは議題によるかなー
ー どうしても聞いてもらいたいことがあるから時間作って
ー はあー分かりましたよ
返信しつつエレベーターに乗り込んだ。
(今夜あたりアキオから連絡があるかもしれないけどまいっか...)と考えながら。
アキオもまた同僚で、私の好きな男で、時々二人で会っていた。彼は社内にいる年上の美人(人妻)と不倫をしているらしいと噂に聞いていたが、直接本人に聞いたことはない。なぜなら聞くのが怖かったからだ。私はアキオに惚れていて、相手は遊びのつもりだと分かっているけど、会うのをやめることができなかった。
アキオは気が向いたときに連絡をしてきた。私はできるかぎり時間をあけて会うようにしていた。でないと次にいつ会えるか分からないから。
アキオは仕事ができるようで社内でも常に忙しそうだったけれども、資格を取るための勉強や趣味のサークルや、そしてたぶん人妻との逢瀬の時間を優先しているらしく、私との約束はほぼできないに等しかった。前もって週末の予定を聞いても答えは返ってこない。なのでアキオに合わせるしかない。それでも会えるときはとても楽しいのであった。
アキオの好ましいところは色々あるのだが、第一にとても話がおもしろいひとだった。頭が良いのだと思う。ひたすら笑える話をしていたかと思うと胸がぎゅうと掴まれるような印象的な言葉を吐いたりする。私はアキオに夢中で、単なる遊び相手と思われていても、一緒にいられる時間が少しでもあればそれでかまわないと思っていた。ただ少し疲れてきていたのは事実だ。二人で会うようになって数ヶ月になるけどいつまで経っても私の優先順位は下のほうで、なんだか不毛だなあと思い始めていた。
(人妻との不倫がそんなに良いものかな...刺激的ってやつか...)と考えながら廊下をのそのそと歩いていると、アキオが封筒をパタパタと振りながら上司と何かを話しつつ、目の前を横切っていく。私と目が合うこともない。
ふん、と思いながら脇に目をやると、隆はデスクに突っ伏して寝ていた。
(はぁーどいつもこいつも...)などと思いながらため息をついた。
「はいはいお待たせー」
「おそくね?」
「ていうか隆ってこんなお店知ってたの?ってかんじなんだけど」
「そこは気にすんな」
「払えるの?私千円しか持ってないよ」
「そんなはした金で生きていけると思ってるのが怖いわ」
「で、なんなの?なにかやらかしたの?」
「いやそれがさー、聞いてよ、」
その時二時間程かけて隆が語ったことは、これまでの隆の人生で最高に愛した女性との出会いから別れまでのお話(本当かどうかは分からないが無闇に壮大な話だった)。そして今は私のことを好きで、結婚したいくらいに思っているということ、だった。
唖然としてしばらく声が出なかったけれどもその場でお断りした。理由はいくつかあるのだが、決定的だったことをここに記しておく。
私は文房具を集めるのが趣味だ。それは隆も知っていて、今回の企てに際して私にプレゼントを用意してくれていた。キャラクター物のノートやボールペンや文具がぎっしり詰まった愛らしいギフトボックスだった。せっかくのプレゼントなのでありがたく頂戴したが、私はキキとララがプリントされたボールペンを使いたいなどと言ったことは無いし、実際に使ったことも一度足りとて無いはずだ。それにキキとララを好んで使用するような女を想定しているのであればそれは大きな誤りというものだし、好きだというわりには私のことをまったく理解していない隆君なのであった。それがお断りする第一の理由だった。
ただアキオの話になった時に(時々会っていることは言っていない)、隆はなにか探るようなとても真剣な顔をしていて、アキオとのことを薄々知っているのだなと思った。そして私も隆も、決定的なことを目の当たりにするのを怖がっている、同類なのだなと思った。
しかし隆はその後もめんどくさいやつで、職場で私に対してほぼ無視を決め込むようになった。それも仕事に支障が出るレベルで。さすがに挨拶くらいしろよ、と言ったこともあるけど無駄だったので、友人をやめ携帯のアドレスも拒否した。そのあと隆は異動となり、私は退職してしまったので、今どうしているのかはまったく分からない。
しばらくしてアキオは難しいなんとかいう資格試験に合格し、涼しい顔をして転職し上京してしまい、やがて会うことはなくなった。美人の人妻は残されていたけど彼女も涼しい顔をしていた。
その後に東日本大震災が起こった。アキオは数日後に電話をくれた。第一声が「生きてたんだ!」だった。でもなんだかうれしかった。その後数回連絡が来たけど会うのを渋っていたら「君のエッチな写真を撮って送りたまえ」という指示が来たので無視した。その後連絡は来ていない。