ねずみ君ち

読書やゲームやその他日常のことを細々と。

月並みではございますが今年の振り返りと来年の抱負。

昨年の年末か今年冒頭に、2016年の抱負として「今年は穏やかに過ごしたい」というようなことを言っていたか、何かに書いていたと思う。

いま振り返ると、傍から見ると取り立てて変わったことの無い穏やかさだったと思うけど、気持ち的には、トランポリンを端から落ちそうになりながらもギリギリ落ちずになんとか乗っているようなかんじだった(良い意味で)。他人には言わないような自分にしか分からない部分でじつは穏やかではなかった(良い意味で)。わたしは、わたしにしか分からない部分でああでもないこうでもないと考えたり、またそういったことを手帳に書き込んだりするのが好きなので、穏やかではなかったといってもけっこう楽しんだ一年だったと思う。

(良い意味で)としつこく書いているのは、とことん底に落ちるような落ち込み方はしなかったためで、概ね明るく過ごした一年だった。

それを踏まえての2017年の抱負だけど、「すこし冒険しても良いかもしれないぞ」というゆうようなことをぼんやりと思い描いている。なにも冒険しない可能性もあるけど、なんとなく頭の中に浮かばせておきたいと思う。

 

そうそう「自分にしか分からない部分で」の話だけど、これまでは自分だったらこうするとか、自分だったらあんなことしないとかの、何かの物事に対しての考え方や姿勢に関して、いくらか変化した一年だった。

そのうちのひとつとして、ペットの飼い方に関しての自分の考え方が大幅に変わった。最近の傾向として「ペットショップで動物を飼うのではなく譲渡会などで里親を探している動物を飼うべき」みたいな風潮があると思うのだけど、わたしもこれまではそう思っていたし、動物愛護活動をしているかたを尊敬しているし、 ほんの少額だけど寄付による応援もする。なので今後もその考え方に反対するわけではないけれど、ペットショップにいる動物も譲渡会にいる動物も、それぞれが1匹の犬や猫なのだよなあと思うようになった。ペットショップで購入するか、譲渡会に出向いて探すかの違いはあっても、大事なのは人間側が最後のときまでちゃんと面倒をみるかどうかなのでは、と思うようになった。譲渡会にいたからこそ他よりも愛すべき犬猫だというわけではないと思うようになった。そう思うようになると、以前の自分の考え方はとても狭い考え方だったと思う。

他にも色々と自分の考え方を改めるようなことがあったし、2016年は良い一年だったと思う。