読書日記:『何もかも憂鬱な夜に』中村文則
今年はなんだか例年より秋冬が長くなりそうな予感がします、鼠です。
最近好きなのが、朝方のまだ暗いうちに目が覚めてしまい、自分の脇腹にくっついている飼い猫の体温を感じながら、新聞屋さんのカブの音を遠くに聴きつつ、もう一度寝ようか起きようか迷っているとき、です。そのときに猛烈に幸せを感じます。
(ここまでの字面を眺めてるとおばあちゃんの日記みたいですね。)
そして、こんな小さなことで幸せを感じられる女なのに、リアルな幸福に恵まれないのは何故なのか、わたしって可哀想、まで考えてちょっと死にたくなるのはここだけの話です。嘘です。できるだけ長生きしたいです。
今日はまたまた中村文則氏の本についての感想です。
(これから読むかたはネタバレ回避のためブラウザバック推奨です)
ほんとうに個人的な勝手な感想を書きます。
この本は、前半はまったくのめり込めなくて何度か読むのをやめようと思いました。そのため数カ所飛ばしたりしてます。
集中できない理由を探しましたが、おそらくわたしには、自殺してしまう真下や、主人公の、少年の頃の感覚みたいなものを理解することができずに、想像しづらかったからだと思います。
しかし後半は好きです。とくに、自身の生について考え始めた山井が主人公にあてて書いた手紙の部分は震えましたし、涙が溢れさえしました。死刑制度についても(自分がなにか意見を持ったわけではないのですが)考えさせられました。
そんなわけでわたしにとっては、前半と後半で読み方がまったく違った本でした。
中にとても好きな部分があるので書き出します。
僕は、あの人が作ったリストに、順番に触れていった。難解なものに出会うと、あの人に自分の意見を言い、長く長く、その作品について喋った。「自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断するな」とあの人は僕によく言った。「自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない」僕は時々、わかった振りをして、あの人に笑われることがあった。
あの人というのは主人公のいた施設の長のようです。
ここを読んで自分の、本や映画などの作品に対しての見方を改めたいと思ったのと、そういったものについて長々と喋ることのできる友人がほしいと思いました。
しかしわたしは、周囲のひとと何かのテーマについて本気で喋ろうとすると大抵「理屈っぽい」と言われてしまいます。相手を呆れさせずに面白く喋ることのできるスキルがほしいと思いました。あと何レベルあげるとそのスキルが習得できるのでしょうか。むつかしいです。
それではまた!