ねずみ君ち

読書やゲームやその他日常のことを細々と。

読書日記:『天帝妖狐』乙一著

今日も今日とて読んだ本の感想です。

 

乙一氏の本は好きで以前から何冊か読んでいます。

これまでに読んだのは、『GOTH』『死にぞこないの青』『きみにしか聞こえない』『夏と花火と私の死体』『ZOO』『暗いところで待ち合わせ』『暗黒童話』etc...

今年に入ってからは『失はれる物語』と『箱庭図書館』『平面いぬ』を読みました。どの本もとても面白いです。

乙一氏の本はどれも好きですし、ユーモアがあったり切なかったりホラーぽかったりと、物語毎になんというかバリエーションにとんでいるというイメージがあります。数年経って読み返すこともありますが、まったく飽きずに読むことができます。

 

天帝妖狐 (集英社文庫)

天帝妖狐 (集英社文庫)

 

 今回読んだこの『天帝妖狐』には2話収録されています。

 

1話目は『A MASKED BALL』です。

トイレの落書きを軸にして進んでいくストーリーで、頭の中でこのひとが○○なのでは?とか想像しながら読むのが楽しかったです。こうゆう物語を読むと、小説家というのは複雑なことを考える頭の良いかた達なのだなあと思います。

 

2話目が『天帝妖狐』です。

自分にとってはこの『天帝妖狐』のほうがメインでした。

わたしは、乙一氏はこういった物語がお好きなのか、得意なのでは?と勝手に思っています。

例えば冒頭にあげた『失はれる物語』はたしか事故の後遺症で体が麻痺して(あるいは胴体と右腕だけ残した状態)、右腕の痛覚と意識のみ残しながら生きる人の物語でした。そしてこの『天帝妖狐』では、妖怪(悪霊?)と取引したがために少しずつ呪われた体に変わっていき人間らしさを失っていく人の物語です。

どちらも一旦自由とか希望を失い、葛藤、憤り、絶望、諦め、のどうどう巡りをして、ほんとにちょっとだけのかすかな希望を拠り所にしながらなんとか暗闇の中を生きていくことを選択する、というようなお話だと思います。(というよりは“死ぬ”ことすらできない、というほうが正確かもしれません。)失われたものはどう頑張っても取り戻せなくて、ものすごい閉塞感があって、なんとそこから素晴らしいどんでん返しがあって180度幸せに!もなりません。救われなさが半端ないのです。

『天帝妖狐』の夜木は、安易に妖怪と取引してしまったのだから自業自得なのだということを自覚していて、ひたすら自身を責めています。少しずつ醜悪な妖怪の身体に変わっていき人間どころか動物からも嫌われるし、かつ死ぬこともできないのでさらに苦痛が増しています。そこに杏子という優しい娘が手を差し伸べ、一時平穏な日々が訪れます。その後ある事件により再びその平穏は失われるのですが、杏子が与えてくれた人間らしい暖かさに感謝しつつ去っていく、のでした。

夜木のように、ほんのひとときの幸福を糧にしてその後の長い時間を生きていけるものなのだろうか。だって幸せだったり楽しいことってだんだん忘れていくでしょう、などと考えながら最後を読みました。

しかし些細なことでそれまでの苦しさから一瞬で解放されるというのは実際にあることだと思いますし、苦しいとかつらいという感情も少しずつ忘れていけるのだから、脳というのは素晴らしいと思います。

...なぜ脳の話になったのか分かりませんがまとめましょう。

乙一氏の本は『天帝妖狐』も他の本もそうなのですが、読んでいて胸が痛くなって読み進められなくなることがあります。リアルに手が震えてくることもあって、なかなかササッと読めずにゆっくり読むことが多いです。通勤時に読むと電車で号泣するはめになったりします。そうゆう意味では休日に読むのにおすすめな小説家だと思います。

ではまた。